暇文 暇なときに書いてみた文章

神出鬼没の自己言及

3.11

一年経つんですね、もう。
何もかも変わってしまいました。
日本人にとって記憶するべき日がまた一つ増えたのです。
 
ちょうど一年前のこの日、自分は友人の家でゲームだか何だかやってました。
最初は蛍光灯の紐が少しなびいている程度で「ああいつものことか」と特に気にも留めませんでした。
しかし揺れが止まらず、その上体験したことのない大きさ。
とりあえずドアを開けて一応家の外に出ました。
揺れが止み、部屋に戻り、お決まりのパターンとしてNHKにチャンネルを合わせてみると
目に飛び込んできたのは「震度7」の文字。
冷静沈着なアナウンサーの声に少し焦りが入ったように感じられたのは、何が起こったのかの大きさを表していたと思います。
 
そこからはもう、テレビをただ見るしかない。
その家の周辺は特に何も起こらなかったわけですが、3時間ほどしてから自分の街の海岸部にも軽い津波が押し寄せてきたとの情報は入りました。
それ以前に見ていたのがまさに地獄の惨状。
どす黒く濁り、スライムのように膨れ上がった海が、そこらじゅうを食い尽くす映像。
今思い出しても凄みのある「画」であったと感じます。
 
家に帰ってからは、常にテレビを消さないで見ていたと思います。
原発が云々、という話には「はぁ!?嘘だろそれ!混乱してんなおい」とか思ってましたが、本当に嘘であって欲しかった。
一番のショックは、夜10時頃に流れた自衛隊の空撮映像。
気仙沼市上空」と書かれているのに、どう見てもそれはまるで空爆を受けたかのように、炎上する暗闇でした。
 
そして、そこから一年。
本当に人の優しさや絆を感じると共に、人の傲慢さや醜さも心底目にしました。
復興、それ以前に復旧すら進んでいない状況。
それでも徐々に明るさを取り戻しつつはあるはずです。
「節目」 あらゆる意味での言葉です。
一年間経ったから忘れろ、とそうではなく、一年間経ったからこそ忘れるべきではないのです。
しかしそれ以上に更に更に前へ進めていく必要があるのでしょう。
それも、今までと同じ運命を辿らない「違う道」を、です。
ある意味では、あの日は違う道へと進みだすためのキッカケとなっているのかもしれません。
国や自治体がすべき事は「その道を見つけること」
我々がすべき事は「その道を歩みだすこと」
一年経ったからこその目標です。
 
「1年」という時間はとても長く、そしてとても短いということを実感させられたこの一年間。
あと、二時間です。
 
犠牲者の方のご冥福をお祈りいたします。
そして、行方不明者の方が一刻も早く見つかるように、
避難者の方が早く安定した生活を取り戻せるように心から祈っています。