暇文 暇なときに書いてみた文章

神出鬼没の自己言及

「セッション」観てきました

どうもお久しぶりです。

先日「セッション」という映画を観てきたのでその話をべらべら書きます。

かなりネタバレがあります。

 

まずはあらすじを。

名門音楽大学に入学したドラマーのニーマンは、伝説の鬼教師フレッチャーのバンドにスカウトされる。彼に認められれば、偉大な音楽家になるという夢と野心は叶ったも同然と喜ぶニーマン。だが、ニーマンを待っていたのは、天才を生み出すことにとりつかれ、0.1秒のテンポのズレも許さない、異常なまでの完璧さを求めるフレッチャーの狂気のレッスンだった。さらにフレッチャーは精神を鍛えるために様々な心理的ワナを仕掛けて、ニーマンを追いつめる。恋人、家族、人生さえも投げ打ち、フレッチャーの目指す極みへと這い上がろうとするニーマン。果たしてフレッチャーはニーマンを栄光へと導くのか、それとも叩きつぶすのか─?

INTRODUCTION | 映画『セッション』公式サイトより

ドラマーとして大成したいと願い、音楽のためにあらゆるものを投げ捨てていくニーマン君と、徹底的にしごくことでこそ天才が生まれると信じてバンドメンバーを異常に罵倒し続けるフレッチャー先生の二人が主要人物です。

一応音楽映画というくくりではありますが、言ってしまえばこの二人がジャズを通して殴り合う映画です。この「殴り合い」というのは比喩ですが、ボクシングのチャンピオン戦を、それもかなりの死闘を、目の前で無理やり見せられたぐらいの壮絶さがあります。

鑑賞後、どっと疲れました。たった106分の映画です。2時間もありません。そしてストーリーもとても単純で一本道です。この短く単純な構造が観た者の頭を全力でぶん殴ってくるのです。

 

 

恐怖!鬼教官フレッチャ

あらすじにもあるように、物語はニーマン君がフレッチャー先生のバンドに参加を許されるところから始まります。最初はとても優しいフレッチャー先生、ニーマン君も安堵の表情を浮かべながら新しいバンドでの活躍を胸に誓います。

ところがドラムパートの練習が始まると状況は一変。「17小節の4拍目」のテンポが違うと言われ、シンバルを投げつけられ罵倒され続けるニーマン。

「Not my fucking tempo!」(テンポが違う!)

「Were you rushing... Or were you dragging?」(お前のテンポは速かったのか?それとも遅れていたのか?)

罵倒され叫ばれ、泣いて家に帰るニーマン。しかしこの悔しさを胸に次の日から鬼のような練習に取り組みます。ドラムを叩きすぎ指の皮が裂けて出血しているのを、氷水に拳を漬けて痛みを抑えてはまた叩く。真っ赤に染まる氷水。ニーマンの苦悶の表情が思わずこちらにも移ります。

フレッチャー先生の目的としては、ニーマンがしたように、奮起させることなのです。徹底的に罵倒して褒めないことで、自分を常に磨き続けて、才能を開花させてほしいのです。このやり方でしか天才は生まれない、そうフレッチャー先生は信じきっているのでニーマンを罵倒し続けます。

フレッチャー先生からしてみれば、本当の天才ならばこの程度の罵倒でへこたれたりはしないと考えているのです。脱落者はあくまで凡才であり、100人の屍を作り上げてでも1人の天才を生み出したい、それがフレッチャー先生の「教育者」としてのポリシーなのでしょう。

 

「独善」となりゆくニーマン

過酷すぎる練習と自主トレによって、ニーマンは経験と自信を身につけた一方で、確実に独善的にもなっていきます。偉大なドラマーになるためには君は邪魔だと言ってガールフレンドを振ったり、ドラムへの情熱を理解出来ない親族達に食ってかかったり。生活の全てをドラムにつぎ込み、まさにその様相は「執着」の二文字。

その末に主奏者の座をつかみとるニーマン。前述の通り、最初の練習ではフレッチャー先生に何も言い返せず悔し涙を流しているのに、物語中盤ともなると「僕が主奏者だ!外すなんて出来ないはずだ!やってみろ!」と、逆にフレッチャー先生に食って掛かるようにもなります。しかし、せっかく主奏者になった公演では、ニ交通事故による怪我をおして行った演奏は散々な有り様で、フレッチャー先生からも「ニーマン、終わりだ」と烙印を押されます。これに激昂したニーマンはフレッチャーに殴りかかろうとし、この騒動が元となりニーマンは学校を退学となります。

この公演において、ニーマンはそもそも舞台に遅刻しています。そして急いで会場に向かおうとする途中で交通事故に巻き込まれて、血まみれになる大怪我を負うのです。

ニーマンは偉大なドラマーを目指しています。自分の血と汗で掴みとった主奏者という地位にプライドを持っています。築いてきた地位とこれから進むはずの未来が、顔面から血を流し手は震えドラムスティックも満足に持てないニーマンに、叩かせることを決断させるのです。自信と技術と経験はいつしか独善を生み、その独善という大きな剣に最終的に押しつぶされたのです。

 

こうして二人はまた邂逅する

先述の騒動が元で退学させられたニーマンはしばらくの間ドラムとは無縁の生活を送ります。音楽学校のパワハラ問題について調査している弁護士に、フレッチャー先生の暴力と行き過ぎた指導について証言を求められたニーマンは、当初彼の指導を正当化しようとしますが、ついには彼のことを告発します。この告発が元となりフレッチャー先生も学校を辞めさせられます。

かつて執着したドラムとも縁を切り、苦しめられた教師にも一矢報いたニーマン。平穏な生活を送っているはずなのに、最後にはドラムの元へと還ってくるのが、幸せなのかそれとも不幸なのか。

ニーマンはある日、とあるクラブにフレッチャー先生が演奏者として出演しているのを見つけ、久しぶりにフレッチャー先生と会話を交わします。この場面で、先述したようなフレッチャー先生の教育観が存分に語られることになるのです。

フレッチャー先生は「危険なのは、『上出来』という言葉だ」といったことを口にします。「バード」と言われた伝説のサックス奏者チャーリー・パーカーのエピソードを語るのです。

十代の彼はサックスの名手。だが、ジャズ・セッションで下手を晒した。ジョー・ジョーンズにシンバルを投げられ、笑われてステージを降りた。

(中略)

もしジョーンズが言ってたら?「大丈夫、上出来だ」

チャーリー・パーカーは満足。「そうか、上出来か」

「バード」は生まれてない。私にしてみればそれは究極の悲劇だ。

厳しい指導によって凡人の心が砕けようとも、それを恐れて天才を見過ごす方がフレッチャー先生にとって避けるべき事態なのです。そう言って音楽学校での自分の振る舞いを弁明するフレッチャー先生。ニーマンはこの言葉を穏やかな笑顔で受け止めます。あの過酷な日々も、自分の才能を開花させようとしたが故ならばと一種の納得を得たのでしょう。

クラブで演奏する場面でも、ニーマンと言葉を交わす場面でも、それまでとは打って変わってフレッチャー先生は温和な表情を浮かべています。彼が演奏するピアノの音色は優しく響き、ニーマンも映画を見ている我々も「思ってたんと違う」と感じざるを得ません。彼もかつてはピアニストを目指していたのでしょうか。「バード」にはなれないまま、指導者となったのでしょうか。だからこそ悲劇をこれ以上生み出したくないのでしょうか。

フレッチャー先生は今度の音楽祭でバンドの指揮を取ること、そのバンドのドラマーの質が高くないことをニーマンに告げ、代役として出演することを持ちかけます。ニーマンはこの日初めてフレッチャー先生の心と素直に通じ合えたと感じたはずです。率直な態度に動かされ、ニーマンは再びスティックを手に取ることを決めます。

 

ラスト9分19秒の疾走、激闘、絶頂

音楽祭当日。久しぶりの舞台。かつてのバンドとは違って、フレッチャー先生も比較的温厚です。さあ始まるぞ、とドラムセットについたニーマンの元へフレッチャー先生がやってきて、一言つぶやくのです。

私を舐めるなよ。密告はお前だな?

 戻っていくフレッチャー先生。動揺するニーマン。見ているこちらも何が起きているのかわからない。クラブでの親しげな会話は? ドラマーとして復活することを期待して呼んだのでは? すっかり混乱していると、そこでフレッチャー先生はニーマンが全く知らない曲目を観客に向けて紹介します。即座に他の楽譜をめくりだすバンドメンバー。はめられた! ニーマンと観客が同時に気づくもどうしようもない。演奏が始まり、なんとかついていこうとするも全く知らない曲のためどんどんズレていくニーマン。その焦燥感、痛々しさそのものが伝わります。

かつての師弟がお互いを理解し合い、絆をもう一度深める……そんな道には乗らない、あくまで復讐、フレッチャー先生からニーマンへの渾身のストレートです。

演奏を何とか終えたニーマン、一旦は舞台袖へ下がっていき、演奏を見に来ていた父親に抱きとめられ慰められます。このとき彼は何を考えたのでしょうか。フレッチャー先生への憎しみなのか、怒りなのか、それとも別の意思を感じたのか。そして彼はもう一度ドラムセットへと戻っていきます。歩み出すニーマンの姿に、ゴングと共にコーナーから立ち上がる満身創痍のボクサーの姿を重ねたのは僕だけでしょうか。

フレッチャー先生が「次はゆっくりした曲を」と言いかけたその時、ニーマンが異様なテンポでドラムソロを始めだします。驚く他の奏者、突然の事態にフレッチャー先生も彼を脅して止めようとするが、ニーマンは一言叫ぶのです。

合図する!

 まさに腕力でねじ伏せたとしか言いようのないスタート。暴力的な音楽。バンドメンバーもフレッチャー先生も、ニーマンの叩くドラムに沿って演奏を進めるほかない、そんな状況を作り上げたのです。フレッチャー先生への右フック。

始まるのは、音楽学校時代何度も何度も奏でた「Caravan」。最初は高圧的な態度を崩さないフレッチャー先生も、演奏が進むに連れ、ニーマンのこの暴力だったはずの演奏が、徐々に素晴らしい高みに到達しつつあることに気づくのです。ここからの二人はまさに共同作業、音楽の楽しさを感じ取りながら演奏を進めていきます。先ほどまで殴りあっていた二人が、今では肩を組み合っているような。ストレート、右フック、そして握手を交わして。

Caravanの演奏は終わります。しかしニーマンのドラムは止まりません。止まらない。続いている。しかしまた彼は言うのです。「合図する!」と。

延々と続くニーマンのドラムソロ。「ドラマーズ・ハイ」とでも言うべき状況で、朦朧とした意識の中、最高の演奏を描き続けるニーマン。それを傍らで指揮しながら、倒れかけたシンバルを直し、「大丈夫だ、集中しろ」とでも言うように頷くフレッチャー先生。この二人の場面で、ついに、ついに、ようやく師弟関係が完成したのでしょうか。罵倒、恫喝、復讐、ジャズで殴りあった果てについに二人の関係は孤高のものとして昇華されたのです。

ラストシーン。「Caravan」の演奏が締められるとき、フレッチャー先生はバンド全員に指揮を出します。一瞬の静寂、空白、その後ニーマンを見てにっこりと微笑んで手をかざすと鳴り響く最後のメロディー。この瞬間、フレッチャー先生とニーマンの関係のみならず、演奏、そして映画の観客全てが感極まるのです。こうして106分の壮絶なラウンドは終わりを告げます。

 

僕は観終わった後、思わず何も考えられませんでした。「なんだこれ」と一言つぶやくのが精一杯で、帰りの電車の中でもまだ呆然としていました。

ニーマンとフレッチャー先生、彼らの暴力的な殴り合い、それが最終的に最高の「セッション」を生み出したのです。その重みはスクリーンの前に座る人間をぶっ飛ばすには十分でした。

「セッション」オススメです。ぜひ映画館で見ることをお勧めします。当初は大変少ない劇場のみで公開しているようでしたが、評判が高まったため多くの劇場で公開されるようになったということです。見て損はしないと思います。

映画『セッション』公式サイト

 

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近況報告

ついでに近況報告もしておきます。箇条書きで。

  • 大学生になりました。
  • 北海道を出ました。
  • 東京に住んでます。
  • ロゴは結構溜まってますが記事は書いてません。
  • 新企画構想中です。国語にまつわることです。
  • 今後は野球に関する記事が増えるかもしれません。
  • 右側に読書メーターブログパーツつけました。
  • Twitterもあります。
  • できるだけ週一以上の更新目指して頑張ります。

以上です。ほぼ一年ぶりの更新だというのに大変簡素ですが、もう5000文字超えてるのでこのへんで。今後も暇文をどうぞよろしくお願い致します。