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暇文 暇なときに書いてみた文章

神出鬼没の自己言及

2016センター試験国語を解いて〈評論編〉

1月16日、17日の土日で毎年お馴染みのセンター試験が行われた。かくいう僕も去年受験生として実際センター試験を受けた身であり、二日間に渡って試験を受けるプレッシャーや疲れは十分知っており、受験生諸氏にはお疲れ様の一言である。

しかしながら、受験が終わってしまえば(ぶっちゃけ受験生になる前から)センター試験なんて1月のお祭りみたいなもので、特に国語は毎年毎年話題を豊富に提供してくれる「いいネタ」である。そんなわけで、受験から解放された大学生という散々枕を高くできる身分の僕が、今年のセンター試験の内の国語を、しかも評論と小説だけしか解かないくせに散々文句を言う、という趣旨の記事である。

問題、解答は東進ハイスクール大学入試センター試験解答速報」を参考にさせてもらう。過去問データベースなども含めて東進には最近お世話になる頻度が高い。ありがたい。

www.toshin.com

とりあえずこの記事では評論だけ取り上げる。小説は多分次の記事で。

 

土井隆義『キャラ化する/される子どもたち』が今回の題材文である。「特定の物語を背後に背負」っていたリカちゃん人形は「どんな物語にも転用可能なプロトタイプ」へと変容したという話題を端緒に、多様化する価値観と共に複雑化する現代社会においては、一貫したアイデンティティを持つ人間像よりも場面ごとに異なる断片化したキャラクターを使い分ける人間像の方が、より適応しやすいものとなっている、といったところの論旨である。「キャラ化する」ことを筆者は肯定的に受け止めており、現代社会で人間関係を円滑に進めるための「誠実な態度」だとも述べている。この全体としてプラスに向かう雰囲気を掴めるか掴めないかが後でだいぶ効いてきそうな感じがする

 

問一。みんな大好き漢字問題。(ウ)だけ間違ってしまった。そもそも「かえりみる」と言われて「省みる」しか出てこなくて「顧みる」が思いついてない僕はどうなんだそれは。(ア)、営繕とかいまどき言うんだろうか。あんまり聞かない。(イ)、僕は最近束縛されたい欲が強い。何の話だ。(エ)、「天使が外界に舞い降りる」ってやたらファンタジックな例文だがどうした君は。(オ)、緊縮財政という単語はギリシャ経済危機などで案外聞き覚え多いのでは。

 

問二。これはすんなり決まると思う。2と5は因果関係がおかしい。3と4は変化の先がおかしい。消去法でも普通に解ける。正答の1は本文そのままスッキリである。

 

問三。僕が評論の中で一番時間使ったのがこれ。正答は2。1と4は即座に消える。3は「社会的に自立した人格」が本文で触れられてないように感じた。5は「合致させながら」が例によって「言いすぎ」の部類であると思う。外と内の揺らぎはあるのだから、合致させたら揺らぐ余地もあるめえ。2と5でだいぶ迷ったのだが、河合塾の講評では「5がだいぶ紛らわしいよね分かる分かる」とあるので流石受験生の気持ちが分かってらっしゃる。代ゼミの「やや易」という評は個人的には受け入れがたい。「選択肢の判別も容易」とあるが、これを容易というなら問二なんて視力検査だろう。

 

問四。代ゼミ的には「やや難」らしい。(´・∀・`)ヘーソウナンダ まあでもそこまで簡単ではないと思う、正答は4。3と5はいわゆる(?)「何言ってだこいつ」系選択肢である。即消え。1は「一貫性」という語句が引っかかる。第9段落で「日々の生活においても場面ごとに異なった自分が存在して、一貫性を見出すことは難しい」という趣旨のことが述べられている以上これを選ぶわけにはいかない。2と4の二つで迷ったのだが、最終的に、本文で述べられている「不透明な人間関係を透明化する」「あらゆる場面に対応可能」という二つの理由のいずれをも述べている4のほうがより適切だろうとして判断した。2は前者サイドの論しかないのが気になる。気になるなら選ばなきゃ良い。

 

問五。この文章を読んだ生徒達がそれぞれ感想を述べて、趣旨に最も合致するものを選べという問題。この形式は1995、96年度にも出題されたと東進、駿台代ゼミで言及がある。身も蓋もない言い方をすれば、問題の形式などに惑わされず本文の趣旨を述べているものを選べばいいというこれまでどおりのセンター評論だ。というわけで正答は2。

 

問六。例によっての文章表現・構成設問。(ⅰ)はどう見ても1が違うので選びやすいのでは。リカちゃん人形が我々に対して敬意を持っているというのはどう考えても変である。(ⅱ)も分かりやすい感じがした。3の「やや異質な問題」という語句がそもそも選択肢の中で異質に見える。第12段落で述べられている例は、キャラを一面的に演じることが社会で求められている例であり、それは第10段落の「多面性を削ぎ落として透明化させた人間関係」の最たるものであろう。論述方針は変更されていない。ところで東進は「適当でないものを選ぶ点で、やや難」としているが、それってそこまで難易度に関わる要因だろうか。

 

第一問総評。センター評論としては多分平年並みかそれよりも若干低めの難易度。文章量が減少したのと、ポストモダン社会という割と聞きかじったテーマについて述べられていたことから取っ付き易かったのではと思う。出題形式に変更が見られるが、そこまで難易度を左右するものとも思えず、「現代文を解く」という行為ができている受験生なら特に苦労せず解ける問題設定ではないかと思う。そういう意味では良問。

例年、センター国語はネタが多いということで今年もTwitterで話題が出ていたが、正直なところ小説に大したネタはなく、評論にお鉢が回ってきた感じで、脚注のついた「やおい」や「メイド・カフェ」という単語が本文中に取り上げられていることに注目が集まっていた。しかし、これも例年のことなのだが、センター国語でネタになる部分というのは大体は本文の論旨にそこまで影響ない場合が多く、今回も単なる具体例である。外野はともかく受験生はそこで気取られてると死ぬぞ。

(余談だが、「具体例は読み飛ばせ」というのは乱暴ではあるが受験現代文において一つの指針ではないかと個人的には思う。論旨を補強するための材料であり、論旨把握のためには必ずしも必要ないことが多く、後から設問の都合上戻って読み返すぐらいの勢いでも構わないと思う。)

むしろ面白かったのはその二つの語句の脚注だと思うのだが、流石に文章が長すぎるのでこれもまた別途に分ける。

そういえば某氏に言及されて気づいたのだが「大きな物語」という語句はフランスの哲学者リオタールが述べた概念で、ざっくり言うとこれが存在していたのが「モダン」、これが終焉したのが「ポストモダン」なので、ポストモダンを考える上では必修ワードの一つである。学校や予備校の授業なり参考書なりで、こういう近代思想に少しでも触れていると論旨の受容がすんなり行くだろうにと思う。現代文の教科書はさっさと近現代思想の変容と概要を説明するページ作るんだよ、あくしろよ。

 

先述の通り、小説は次回に。