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神出鬼没の自己言及

2016センター試験国語を解いて〈小説編〉

前回の続き、今回は小説に関する感想だ。気がつけば3月に入り全くもって時季を逃したと言わざるをえない。しかしこのブログとしては平常運転である。第一問評論に関しては、前回の記事を見てほしい。早速始めていこう。

問題文は前回同様に、東進ハイスクール「大学入試センター試験解答速報」を参照した。解答も載っているので暇な方は解いてみると楽しい。

 

 題材文は佐多稲子『三等車』である。鉄道の車中を舞台に、乗り合わせた人々の出会いから物語を紡ぐという小説はそう珍しくもないと思える。オリエント急行殺人事件」という、この場合全く的はずれな具体例しか思いつかないのは許してほしい。Wikipediaによると、国鉄の客車の等級で三等まで存在したのは1960年以前のことだとあり、確かに第二問前文の記載と一致する。60年ほど前の小説にはなるが、言葉遣いは当世風であり難解な表現もなく、先述のように題材としても珍奇なものではないので、文章理解はすんなり進んだと思われる。

 

物語は主人公「私」が鹿児島行きの急行列車に乗り込むところから始まる。混雑する列車の中、三等車に一つだけ残っていた座席を闇取引によって購入した「私」は、そこである一家に出会う。その一家とのやりとりから、一家について「私」がどう思っていたのかを巡って問題は構成されている。

 

問一。お馴染みの表現問題。文章中で馴染むものを選ぼうとすると案外3つぐらい残ってしまうので、あくまで辞書的な意味合いに終止して考えることが絞るコツである。今回は日常でも使われるような表現が多くてそこまで難しくない。むしろこの表現問題はセンター模試で出てくるやつの方がヤバい。(ア)、文脈でも分かっちゃうけどしっかり考えるべき。(イ)、1や2は間違えやすいかもしれない。(ウ)、1も何となくそれっぽい感じがするが、「見栄をはる」と「偉ぶる」はまた態度として違うのだ。

 

問二。座席に座るまでの心情なので、例の家族とはまだ出会っていない。心情を聞かれているので素直に心情が書かれた部分を探しだしてみよう。例えば、12行目「私はその男との応対も心得たふうに言って、内心ほっとしていた」とか18行目「私は周囲に対して少し照れながら再びほっとした」とか28行目「先方も、私も、安心したようになって」とかが分かりやすい。

流れをまとめると、周囲の客が大勢立っている中で闇取引で切符を買い席を確保した「私」は何となく不安なのだが、向かいの婦人も同様に闇で切符を買ったという話を聞いて「自分だけじゃないんだ」と安堵しているわけである。これが現代文なら「日本人特有の~」みたいな論理が始まるかもしれない。

というわけで答えは1。2は「ためらいながら」が間違い。「心得たふう」には出来た程度に、上々の闇デビューであったのだ。3と4は言い過ぎの選択肢。耐えがたくだとか罪の意識だとかそういうのは告解室でやってくれ。5は「仕事の準備ができることにほっとしている」が間違い。「私」はスタバのカウンター席にいるドヤ顔MacBookさんではない。意識高そう。

 

問三。険悪な雰囲気を見せていた夫婦ではあったが、男のほうは、別れの間際にはホームで妻子を見送り、子どもを気遣う父親らしい素振りを見せていた。そのことを妻は知らない。どのような事情かは知らぬが、妻の中では夫が「苛立った独りよがりな男」として認識されたまま別れとなってしまうのか。それはいけない。そんな気持ちを隠せない「私」は、つい妻に話しかけてしまうのである。

84行目が分かりやすい。「彼女は~知らずにいるのだ」とあるように、「彼女が、夫の父親らしい姿を見ずにいることがどこか残念だ」と思っているのだ。この場面で伝えたいのは父親の姿であって、子どもの姿ではない。よって3と5は不可。1は「和解させたい」が言い過ぎ。2は「夫のことを思いやってほしい」がズレている。やはり父親としての側面の方を重要視したい。よって正解は4。この前の場面で子どもを預かっている「私」、実はもう結構この家族に感情移入しているのである。

 

問四。心情を問う問題とはなっているが、実際のところ「明日までの汽車の中にようやく腰をおろしたふうだ」という比喩表現の意味を汲み取れるかがキーだ。86行目からは「私」と母親との会話が始まる。この会話パートを読んでみれば、とうとうと身の上を語る母親、それに共感や同情を覚えながら話を聴く周りの乗客という景色が見て取れる。傍線部Bのすぐ前の116行目では「三等車の中では、聞えるほどのものは同感して聞いているし、すぐその向うではまたその周囲の別の世界を作って、関りがない」とあり、分かりやすい。要するに、この母親は「落ち着いた」のだ。すごくざっくりした言い方だがそのものずばりだ。この点を踏まえながらの解答になる。

1は「励まされたことで冷静になることができた」のがズレている。会話パートを読めばわかるが、直接的に励まされているわけでもなく、むしろ母親が一人語っているうちに冷静になってきたという方が近い。東進は「ぶっきらぼうな言い方に苛立ちを募らせていたのではなく、男性の考え方全般への苛立ちであるから×」としているが、一つ選択肢切るには些細な感じもする。4はおなじみの「何言ってんだこいつ」系選択肢。駆け込み乗車したサラリーマンじゃねえんだからさ。5は「まくし立てた」が間違い。本文中にもあるように「ぼそぼそと」彼女は語った。2と3が残るが、「落ち着いた」という表現をより色濃く翻訳できている方を選べば3となる。2は切ろうとすれば決め手に欠くはず。

消去法という相対評価ではなく、「傍線部を正確に表せているか?」という絶対評価を用いて考えるパターンも必要なので覚えておきたい。3の後半部「長い距離を移動する気苦労を受け入れるぐらいに、落ち着きを取り戻している」が「明日までの~」の言い換えになっているのがわかるだろう。

 

問五。Twitterではこの部分を表して「パパー!!!パパー!!!!!!」のようなネタツイートが出回っていたが、ネタならともかくガチでそんな激情的な台詞として読んでいたのだったら割と読み違えている。140、141行目を見れば、「私」が男の子をどう観察していたかが分かる。男の子は「可憐に弱々しく、無心」に「父ちゃん来い」とつぶやいているが、視線は「走り去る風景が珍しいというように」外の景色に向いている。ここで思い返したいのはそれまでの男の子の描写だが、決して雄弁な子ではない。自分の想いを伝えるのはむしろ苦手な方と見え、例えば79行目では、父の別れの言葉にも無言を貫いている。

そんな男の子が発した「父ちゃん来い」という言葉は、いわば心の深いうちから無意識にひねり出された願望のようなもので、これがわかっていれば2が素直に正解と分かる。1はおとなしくした理由が間違い。130行目参照。3は一文目が丸々間違い。男の子は車窓の景色が気になっているから見ている。私も新幹線とか乗ると大体こうなる。4は三文目の「改まることを願っている」が間違い。「私」は別に父親に対して否定的な見方は示していない。むしろ父親としての姿を垣間見ているのは問三のとおりである。5は「父親のことだけは」が違う。母親のことを信用していないわけではなさそうだし、そこまでの記述はない。

こうして見れば、2は「いじらしく感じて」「気がかりに思っている」など、言い過ぎになることを避けて上手くぼかした表現をついている。センター国語の正解選択肢は、こんな感じで極論となるのを避けるのが上手い。(ちなみに同じことが倫理などの公民科目にも言える)

 

問六。文章表現問題。私これ嫌いなのよね。今回は適当でないものを選ぶので、当たり前だが、一文一文見ながら逐次×がつくところを探していけばよい。正解は1と4。1は「一体感が徐々に壊れ始めている」が間違い。なにそれ怖い。4は「次第に気持ちを高ぶらせていく」が間違い。だから「ぼそぼそと」って言ってんじゃん!

この手の問題は消去法で間違いを消していくほうが容易い、というかそれぐらいしか確実な手段がない。例えば2の「推測させる効果を持っている」を◯とするか否か、なんてのを考えだしても、そんなのぶっちゃけ人によって違うし、「俺は推測できなかったから×でーすwwwwww」なんて考え方は論外なわけで思考の泥沼に至る。だから明らかな間違いを消していく。消去法は明らかな間違いが存在するときに使うからこそ有効な手段なのだ。

 

総評。昨年の小池昌代「石を愛でる人」は現代小説であったが、今回はまた近代に戻った。しかし最初に述べたとおり、平易な文章で読みやすく、評論同様にそこまで難しくもない問題だったと思われる。ちなみに短編小説全文からの出題はこれで5年連続だそうである。下手に長編を切り取るよりかは良いような気もする。オチが読みたくなってもやもやする必要がないし。

また、評論編でも書いたのだが、小説にネタが無い。もちろんそれはイレギュラーがないといいう意味で良いことなのだ。ただ傍観者としては一抹の寂しさを覚えなくもない、とか言ってると受験生に喧嘩売ってるみたいなのでやめる。

 

もし2次試験の国語問題で面白いのがあれば取り上げたいとは思うが、例によって更新頻度はお察しください。来年のセンターでまたお会いしましょうという感じで、さらば。ここまで読んでくださりありがとうございました。