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暇文 暇なときに書いてみた文章

神出鬼没の自己言及

2017センター試験国語を解いて<評論編>

雑記

昨年も行った、センター試験の現代文(つまり第1問評論と第2問小説)だけを解いて、好き勝手に感想だの解法だの述べて、特に来年以降の受験生のためにはならないという自己満足的な企画が本年もやってきたわけである。

昨年のものは下のリンクからどうぞ。

2016センター試験国語を解いて〈評論編〉 - 暇文 暇なときに書いてみた文章

2016センター試験国語を解いて〈小説編〉 - 暇文 暇なときに書いてみた文章

 

今年のセンター試験大寒波の影響でだいぶ混乱するんじゃないかと思っていたが、繰り下げが数会場あったのみで、平年並みなのでひとまず安心している。明日、というか時間的には今日が理系科目の2日目なので、受験生諸氏は頑張って欲しい。おやつはキットカットがおすすめ。

今年も例によって問題、解答ともに東進ハイスクール大学入試センター試験解答速報」を利用する。各設問に対する解説や概観については、東進、河合、駿台・ベネッセ、代ゼミの4社の解答速報サイトから適宜引用して、同意したりしなかったりする。

www.toshin.com

昨年同様、この記事では評論だけを取り上げて小説は次回更新に回す。

 

題材文は小林傳司「科学コミュニケーション」である。みんな大好き(?)科学論で、科学と社会の関係性について述べている。科学は全面的に善なる無謬のものとして認識されがちだが、実際のところそうではないと述べたのがコリンズとピンチという二人の科学社会学者である。彼らは共著『ゴレム』の中で、魔力によって生み出され成長し、強大な力を持つも不器用で制御できなければ危険ともなりうる怪物ゴレムを、科学の真の姿であるとして論じた。つまり科学は「無謬の知識」でも「絶対悪」でもなければ、一つのイメージに落とし込める「一枚岩」の存在でもなく、故に一般市民が知るべきは科学知識の「内容」ではなくて科学と我々の「関係性」なのだ。

著者は、この点について二人の主張に同意するが、一方でその論理を批判する。というのは、科学がまるで「実在と直結した無謬の知識という神のイメージ」と「一般市民がみな等しく思い込んでいる」というのが彼ら科学社会学者の主張だからである。つまり、「一般人って科学のこと全然知らないよね~それで俺ら苦労するわマジで~」と科学者が言うのと同様に、「科学者も一般人も結局さあ科学の本当の姿知らないよね~」と科学社会学者が言うことが同じ穴の狢に陥ってしまっている点を、著者は指摘している。ここで文章が終わるのでその後どう続くかは判らないが、今述べたポイントがそのまま問5の答えにもなっている。

 

問一。漢字問題は日々の「教養」みたいなものがそのまま滲み出てくるので、解ける人は何も考えず解けるのだが、とことん書けない人がいたりして、明暗が分かれるのではと勝手に思っている。だから東大って漢字書き取りあるのかなあとかも勝手に思っている。(ア)は「旧に倍した」という表現を恥ずかしながら知らなかったのだが、十分消去法で解ける。(イ)は「起因」が意外とわからない? でもそこまで難しくない。(ウ)、受験生の年齢なら「厄年」とか気にしないよね……「ご利益」も案外書けないかも。(エ)、「克明」の「克」が思い出せなかったし、「黒白」もわからんかったが「宣告」と「上告」で分かりやすかったので助かった。(オ)は「愉悦の心地を味わう」とかどこの英雄王だよとか思ったけど問題自体は簡単。

 

問二。僕は今回ここを間違いました(半ギレ) ちなみに間違って選んだのは1。正解は5。2は「自然の仕組みを解明~という本来の目的」というのが、別に「本来」とは言われてないという点で多分不適。3は「為政者の厳重な管理下におかれる~」がやはり言及なし。4は時系列がおかしくて、「『もっと科学を』というスローガンが説得力を持っていた頃」というのは「世界大戦の勝敗を決する」頃と被るわけである。さて、1が何故間違いかということだが、冷静に今考えると、この選択肢「先進国の社会体制を維持する」という点についての言い換えが存在してないように見えるので、おそらくその点で不適だろう。この選択肢の最後を「~主要な分野として、先進国の発展を持続させるための実利を生み出す大きな要素へと変化している」などと繋げていたらまあよろしかったのではないか。なんでこんなの間違ったかなあ。「莫大な経済的投資」というのも、結局GNPの2%なのでどう解釈したもんかとは思ったんだけど。ともあれ正解は5。解答ポイントが傍線部の前にだけ存在するとは限らない、当然ながら。ちなみに代ゼミ的にはこの問題は「やや難」だそうだ。わかるわかる。

 

問三。ここから先は間違ってないからでかい顔できる(震え声) 第3段落では科学の両面性について述べられている。つまり、科学が発展するに従って、問題を解決できる便利な何でも屋ではなく、実はこいつ悲しいことも引き起こすぞ!? ということが徐々に分かってきたわけである。本文で挙げられている環境ホルモンのように、その分野が発達したことで新たに生み出された問題というのもあって、じゃあ科学ってダメなんじゃないの? という懐疑が現れ始めた、ということになる。なので正解は4とすんなり決まりそうに思うがどうですか。東進によれば「傍線部冒頭の指示語を正しく辿って解く必要がある」とある。該当傍線部は「こうして『もっと科学を』というスローガンの~」という始まりで、その「こうして」を丁寧に開くとまあ上述のような内容になるし、ちゃんと文章追えてれば大したものじゃない。1は「前途に対する明白な警戒感」が誤り。2は「営利的な傾向」とか言い出しててよく分からない。嫌儲か? 3は「日常の延長上」とか「その方法に対する端的な違和感」のあたりが「何言ってんだこいつ」系選択肢である。5は「その新知識が市民の日常的な~」から下が全部不適。だからそんなこと言ってないんだって。

 

問四。多分3と5の二択で迷うやつ。河合は「5が紛らわしく、正解の3との比較で解答を確定するしかないだろう」と述べている。ぶっちゃけ俺もそう思う。ゴレムくんは、不器用で危険な奴だが、仕事はするし、主人を守ってくれるので、役に立つ奴ではある。科学も同様で、利益をもたらしてはくれるんだが、手に負えなくなるとやべえぞ、って話なのでその点に触れられた3の方がより適切という判断になる。5の言い方は、科学がただ災厄そのものだみたいなポイントしか残ってないので、そこが厳しいのかなあとは思う。ただこれ素直に選択肢切れるものじゃないから悩みどころ。あ、1, 2, 4についてはダメですよ、こいつら選んだら割とダメ。1は「やがて人間に従属させることが困難になる」が言及なし。2は「その成果を応用することが容易でない」がやはり言及なし。4は「時には幻滅の対象になりうる存在であると主張した」が誤り。全面的な善と思ってるから原発事故等で「幻滅」するけど、いや実際はゴレムくんみたいな奴なんだよ分かれよ一般ピーポー!!というのがコリンズとピンチの主張。

 

問五。これについては最初の文章であらかた理由を述べてしまっている。正解は4。科学者も、科学社会学者も、一般市民は科学の本当の姿を知らないんだと決めつける発想については同様である。Twitter見てると、割とその通りなのかなあとは思う。1は別に小説家の皆さんが「一枚の岩のように堅固な一般市民の科学観をたびたび問題にして」きたわけではないし、そもそも一般市民は一枚岩ではないのだ。2は「一般市民自らが~もっと伝えるべきだと主張してきた」が誤り。科学者の間ですら論理的に答えが出ないのに、いわんや一般市民をや、が二人の主張だと第10段落後半にある。3は後半部が丸々言及なし。5は後半部がやはり言及なし。「科学を正当に語る立場に基づいて一般市民を啓蒙できない」のが問題ではなく、「我ら科学社会学者こそが科学を正当に語る立場だ」と自認してしまっているのが構造上の問題だと言っている。東進は問五がやや難と言うが、訊かれているのは傍線部周辺だけでなく実質本文全体を通した著者の主張だと気づけていれば特に問題はないのでは。目先にとらわれると、1選びそう感はあるけど。

 

問六。いつも通りのやつ。(1)は正解が3。「極端な対症療法とみなされていた」がなんかよくわからん。どういうことだろう。1も一見すると本文の該当部が十九世紀とあるので「二十世紀より前」に戸惑うのだが、十九世紀に「科学者」という職業的専門家が現れ始めたということなので、相変わらず二十世紀にならないと「科学者」が一般的になっておらず、つまり問題ない。

(2)は正解が1。これも実はよくわからなかった。2,3,4が多分見た感じあってるので、誤りは1なのだが、どこを突っ込めばいいのかよく分からない。強いて言うなら「その諸状況が科学者の高慢な認識を招いたと結論づけて」が、「言い過ぎ」の部類なんだろうか? ちょっとどこかの解説が読みたい。

 

総評。2015年、2016年と比較して聞きかじったテーマではないし、多分センター試験で科学論が出題されるのが凄く久しぶりなのだと思う。2003年の国語1・2がなんかそれっぽいのだがどちらかと言えば認識論寄りで、こんなゴツい科学論出るのって実は初めてなんじゃないか説があるが、ちゃんと調べてないので断言は出来ない。ごめん。ところで、東進、河合、代ゼミはどこも「硬質な科学論」という表現を使っているが、なんだそれは流行りなのか。

そういえば去年の問5にあったような、謎学級会みたいな問題が今年は無かった。というか評論全体としてオーソドックスな問題構成で、その点の驚きは特になかったのではと思う。まあもしも評論でウケを狙いだしたらいよいよ大学入試センターも終わりだと思う、とここまで書いて去年をすっかり忘れてたことに気がついた。しかしオーソドックスな問題の分、問題文の分量も増えたそうだし、そもそも選択肢が長い。単純に時間足りるのかなあこれって感じは否めない。

河合と東進ははっきりと「評論がやや難化」と述べているし、特に異議はない。しかしながらテーマとして個人的に凄く面白かった。考察厨をこじらせているので、「きっと出題者は、これから科学を専門教育で学ぶ受験生に向けてのメッセージとしてこれ選んだに違いない!」と謎考察をして悦に入っている。楽しい。「ほーん重力波検出成功したんか、それならこれ選んだろ」的な思考の方が近い気はする。もしくは、従来のセンター試験廃止後の科目横断的な入試問題作成のためのマイルストーンと見ることもできるが、流石にそこまで行くと「言い過ぎ」かもしれない。

 

ところでTwitterをちら見してたらこんなツイートがあった。

第12段落で挙げられている具体例についての指摘だが、言われてみればその通りで、『ジキル博士とハイド氏』は大体「二重人格」とかそういう文脈で語られる小説であり、「科学を怪物にたとえ、その暴走を危惧する小説」という印象は正直ない。僕もちゃんと読んだことはないですが。筆が滑ってなんか雰囲気で例に挙げちゃったのではないか。僕は具体例は読み飛ばすというテンションで解いたので、今気づいた。

 

以上、評論でした。小説は次で。