暇文 暇なときに書いてみた文章

神出鬼没の自己言及

中勘助『銀の匙』に関する覚え書き

この文章は、私が通っている大学のとある人文科目の講義で出題されたレポートの内容にいくらかの改変を加えたものである。文学評論などというものは今まで手習いを受けたことがないので作法を知らない。よって、見よう見まねの生兵法である。それでも最近更新してないなというところに飛び込んできた格好のネタであるから利用する次第。

 

 概要

 『銀の匙』は中勘助(1885-1965)によって1910年から1913年に書かれた小説で、夏目漱石がその原稿を読んで賞賛したため東京朝日新聞で連載されたという経緯がよく知られている。作品は、主人公である「私」が書斎の引き出しにしまってある小箱の中の銀の小匙をたまに眺めていることがあるというモノローグから始まり、その小匙を母から貰ったエピソードを皮切りに幼年期の思い出を語っていくというものである。本文は二部構成になっており、前編では「私」の物心ついたときから尋常科高学年に至るまでを、後編ではその後17歳になるまでを描いている。

 『銀の匙』を一読した多くの人が「綺麗な小説だ」という感想であろうことは疑いないと思われる。先述の夏目漱石もこの作品について「きれいだ、独創がある」「あれほど彫琢が細かくて真実を傷つけないのが不思議だ」と述べて、その表現の繊細さを称している。では一体その「綺麗さ」はどこから生まれてくるものなのか。この文章では、『銀の匙』本編の描写を追いながら、読者にそういった感情を生まれさせる理由を考察することを目的としたい。

 

 本文中の描写の検討

 この作品が「綺麗」であることの理由として3点が検討できると考えた。この章ではそれぞれの点について詳細を述べていきたい。なお、このレポートにおける『銀の匙』本文からの引用は、角川文庫版(29版, 2012年発行)からのものであり、引用文最後に前編or後編+ページ数で略記して示す。

 

 子どもの目線から見た徹底した情景描写

 本作品を読み進めて気づくのが、本編中に情景描写が溢れていることである。しかもその一つ一つの描写が丁寧に積み重ねられたものだ。例えば、以下に抜粋するのは13節で書かれている駄菓子屋の描写である。

爺さん婆さんは耳が遠くて呼んでもなかなか出てこない。さんざ呼んでるとそのうちやっとこさと出てきてあっちこっち菓子箱の蓋をあけてみせる。きんか糖、きんぎよく糖、てんもん糖、みじん棒。竹の羊羹は口にくわえると青竹のにおいがしてつるりと舌のうえにすべりだす。飴のなかのおたさんは泣いたり笑ったりしていろんな向きに顔をみせる。青や赤の縞になったのをこっきり噛み折って吸ってみると鬆のなかから甘い風が出る。いちばん好きなのは肉桂棒というのだった。それはあるへいの棒に肉桂の粉をまぶったもので、濃厚な甘みのなかに興奮性な肉桂の匂いがする。(前編13節, pp.29-30)

  気づくのは、「つるりと舌の上にすべりだす」「こっきり噛み折って」といった擬音語・擬態語の表現があること、更に「竹の羊羹は口にくわえると青竹のにおい」「鬆のなかから甘い風が出る」「濃厚な甘みのなかに興奮性な肉桂の匂い」のような味覚・嗅覚の表現もあることだ。本作品では、このように五感に訴えかける表現がふんだんに用いられ、「私」が幼少期に体験したことを、読者がその場にいて一緒に経験したかのような臨場感をもって表現している。概要で述べたように『銀の匙』は幼少年期の思い出をただひたすら描いていく作品であるから、特にストーリーらしい物語の起伏があるわけではない。しかしそれでも読者が飽きることなく読み進められるのは、このような丁寧な描写を通して読者が「私」を追体験できるようになっているからだと考えられる。つまり、作者の中勘助が「自叙伝的作品」ともされる本作に、自分の記憶・経験をいかに克明に写し取って伝えるかを綿密に考えた結果が現れていると言える。

 また本作の情景描写にはもう一つの特徴がある。更に引用を示そう。

いよいよひき移るという日にはみんなして私に もうこの家へは来られないのだ ということをよくよくいってきかせたが、私は出入りの者が手伝いにきて大騒ぎをするのが面白く、また伯母さんと相乗りにのせられて俥をつらねてゆくのが嬉しくて元気よく喋っていた。(前編10節, p.24)

  ここで描かれているのは「私」一家が神田から小石川へと引っ越す場面であるが、あくまで「子ども」から見た目線であることがわかる。このときの「私」は尋常科にも入っていない幼少の時分で、それ故に引っ越しという一家を巻き込んだ大きなイベントであっても全く気にも取られず、引っ越しでばたばたする者を見てただ非日常的な事象に新鮮味を覚えるのみなのだ。これは「大人」となった後では得られない心情である。更に特徴的なのは、「大人の立場で振り返った子どもの目」ではないということだ。子どものときに得た経験を大人の心で解釈するのではなく、当時の子どものときの「私」そのものとなって描写している。よって全ての描写が過去のものではなく、その当時の現在として読者に引き継がれるから、先に述べた追体験がより現実味を帯びたものとなるのだろう。

 以上のように、丁寧に五感に訴えかけながら描かれた描写、そしてそれを積み上げる「子ども」の視点、この二つがあるからこそ『銀の匙』で語られるストーリーは、子どもならではの純粋さを読者に思い起こさせる。この純粋さが読者の心を捉えて没入させ、本作を「綺麗」と思わせるのだろう。最初の検討点ではあるが、私はこの点こそ本作品が「綺麗」な作品として成り立っている根幹であると考える。

 

「私」の孤立した立ち位置と冷めた目線

 前項で述べたような丹念な描写を裏から根拠付けるのが、主人公である「私」の目線である。「私」は虚弱体質で知能の発達も遅く、酷い人見知りも抱えていた。それを最も表現するのが「生きもののうちでは人間がいちばんきらいだった」(前編14節, p.31)という一文である。「私」は、体が弱くずっと伯母につきっきりで育てられており、周りの男子と一緒に遊んだりすることがなかったためか、この一文で語られるような人間不信がずっと価値観の根底に残り続ける。ゆえに、高学年の頃には「私」は周囲からは一歩引いた物の見方を手に入れるに至ったと考えられる。例えば、後編2節では、日清戦争の展望について担任の丑田先生が「日本人には大和魂がある」と述べるのに対して、「先生、日本人に大和魂があればシナ人にはシナ魂があるでしょう。日本に加藤清正北条時宗がいればシナにだって関羽張飛がいるじゃありませんか」(後編2節, p.133)と尤もな論理で反抗する場面がある。その後の10節においては「私」は次のように述べている。

私は学校へあがってから「孝行」という言葉をきかされたことは百万べんにもなったろう。さりながら彼らの孝道は畢竟かくのごとくに生を享け、かくのごとくに生をつづけてることをもって無上の幸福とする感謝のうえにおかれている。そんなものが私のように既にはやく生苦の味をおぼえはじめた子供にとってなんの権威があろうか。(後編10節, p.156)

 これは修身の授業が嫌いであったという話の中で語られる一説だ。ここで「私」は、周りの同級生や先生がさも当然のように孝行を推奨するが、それは全て生きることは幸福なことと信じる感性の上で成り立つものだから、人生の辛さを覚え始めた「私」にとっては論理が崩壊しているということを主張している。結局先生は孝行をするのがマジョリティの考えだという強弁で「私」を黙らせてしまうのだが、「私」の価値観は周囲からは明確に違うものとなっている。その結果として、「私」は周囲と一緒になるのが馬鹿らしいと思うようになり、いつからか離れて嘲笑的に見るようになった、とまで書かれている。

 ここで抜粋したのは後編で「私」が10歳、11歳程度まで成長した後の描写であるが、「生きものの~」の一文で表現されるように、「私」の孤立した視点というのは幼少期から既に形成されているものだった。したがって、周囲の人間とはあまり関わろうとしない「私」だからこそ、周りの情景によく目を留めて気を配っている様子に説得力が生まれるのではないか。さらに、先に述べたようにこの作品は中勘助の自叙伝ともあるとされる。つまり「私」の視点とは、中勘助自身の視点であるとも考えられる。「私」=中勘助は周囲から一歩離れたところから状況を見渡せる、ある意味では冷めた視点の人間だったからこそ、このように詳細で説得力のある描写が生まれたのではないだろうか。

 

 叔母との関係と「私」の成長

 前項では「私」は人間不信だということを書いたが、それでも親しい者との付き合いはある。むしろ、その親しいものとの人間関係こそが濃密に本作品を彩る要素となっている。この節では、その中でも最も濃密であった伯母との関係について触れていきたい。

 この伯母は、病弱であった母に代わって「私」の面倒を長年見ていた人物で、「私を育てるのがこの世に生きてる唯一の楽しみであった」(前編3節, p.12)と述べられるだけあり、「私」に無際限の愛情を与えていた。幼少期の病弱な「私」は常に伯母の背中に背負われていたという記述もあり、背中に背負われたまま縁日や近所の寺にも連れられ、食事も伯母の手で食べさせられるほど目を掛けられていた。伯母は仏心が深い人物で、行灯の火に焼かれた虫にまで念仏を唱えるような人物である。また漢字は読めないが博聞強記な人物で、様々な昔話や百人一首の歌を「私」に聞かせながら育児をしていた。この伯母に育てられたことについて、「私」は「仏性の伯母さんの手ひとつに育てられて獣と人間とのあいだになんの差別もつけなかった」(前編18節, p.39)と述べている。このように純粋な愛情と豊富な知識の元に育てられた「私」が、先に述べたような独自の価値観を抱いて周りの生物間を分け隔てなく対応するというのは自然なことであるし、裏付けとなる。また、伯母が「私」にいかに愛情を注いでいるかという描写が繰り返し描かれること自体が、読者に「綺麗」な人間関係として感動を与えている。

 ここで、伯母からの純粋な愛情を描くシーンを見てみたい。生国へと旅に出た伯母はその旅先で病を患い、体力の衰えから「私」の住む家には結局戻ってくることなく遠い縁家で留守番をして暮らしている。数年が経ち、「私」は16歳の春休みに旅に出たついでに伯母を見舞うことにした。訪ねた先で古びれた家に一人で住む伯母はすっかり目が見えなくなり当初は「私」に気づかないが、「私」の一言で気づいて涙を流して歓迎する。

伯母さんは

「こんなとこだでなんにもできんにかねしとくれよ」

と申し訳なさそうにいって、大きなすし皿を私の膳のそばにおき、こんろにかけた鍋のなかからぽっぽっと湯気のたつ鰈を煮えるにしたがってはさんできて もういらない というのを

「そんなことはいわすとたんとたべてくれ」

といいながらとうとうずらりと皿一面に並べてしまった。気も転倒した伯母さんはどうしてその歓迎の意を示そうかを考える余裕もなく、魚屋へいってそこにあった鰈を洗いざらい買ってきたのであった。私は心からうれしくもありがたくも二十幾匹の鰈をながめつつ腹いっぱいに食べた。(後編17節, p.174)

 帰省で祖父母の家を訪ねると、こちらがもういいというのも聞かずふんだんにご馳走を振る舞ってくれる、などというのは現代でも誰しもが聞き覚えのあるもしくは体験のある出来事だろう。大正時代であってもそうした光景はきっと同じように存在していて、数年ぶりに出会った「私」と伯母の間でもそうであった。かつて「私」は伯母の手によって口まで食事を運ばれていた。伯母はどこかでかつての日々を思い出したのではないか。「どうしてその歓迎の意を示そうか考える余裕もなく」とあるが、つまりは無意識のうちに辿り着いた選択肢が皿一面の鰈であった。それはきっと、食べ物を豊富に食べさせるという親愛の最も顕著な形の現れに違いない。

 次の場面は、食事を終えて二人が眠りにつく場面である。

話はいつになっても尽きそうになかったが私は程よくきりあげて眠りについた。私たちは互に邪魔をしまいとして寝たふりをしてたけれども二人ともよく眠らなかった。翌朝まだうす暗いうちにたった私の姿を伯母さんは門のまえにしょんぼりと立っていつまでもいつまでも見おくっていた。

伯母さんはじきに亡くなった。伯母さんはながいあいだ夢みていたお阿彌陀様のまえに坐ってあの晩のような敬虔な様子で御礼を申しあげてるのであろう。(後編17節, p.176)

 伯母も私もかつての日々を思い出して、語る言葉は延々尽きない。「互いに邪魔をしまいとして寝たふりをしてた」というのは、互いの互いに対する愛情と思いやりとが通い合っている描写にほかならない。「門のまえにしょんぼりと立っていつまでもいつまでも見おくっていた」というのも伯母から「私」に対する愛が読み取れる描写である。実のところ、この後編17節に至るまで、後編ではほとんど伯母の描写は出てこない。それは「私」が学校に入ってからは伯母の背中に負われ続けることもなくなり、徐々に「私」が一人の人間として自我が確立し始めて文字通り一人で立てるようになってきたからだ。この場面で描かれる一人旅などは「私」の自立を象徴する描写だ。「私」を追体験している読者は、「私」の成長の様子も、かつての伯母の元気な様子も全てを読みながら一緒に追ってきている。だからこそこの場面で、伯母の背中をもう必要としない自立した「私」が、かつて自分を育て支え続けた伯母に会いに行くといういわば幼少期との決別の描写に、心打たれて純粋な感動を覚えるのだと考えられる。

 

結論

 以上の議論のように、『銀の匙』の描写について3点を挙げて検討した。本作品では「五感に訴えかける繊細な綿密な情景描写」が全ての根幹となっており、これが本作品を「綺麗」だと思う感情の拠り所となっている。それらの情景描写は、この作品が主人公「私」の一人称視点で描かれることから、「私」独自の視点によるものである。その視点は、「生き物では人間が一番嫌いだった」とまで述べる「私」が成長の中で形成してきた、世間からは一歩引いた価値観に基づいて描かれたものであった。更には、病弱で人間不信な「私」が叔母にどう育てられてきたか、そして叔母とどのような別離を遂げたのかという一連の「私」と伯母の関係を描くことで、純粋な愛情が描かれている。これらの描写が幾重にも重なって描かれることにより、読者は『銀の匙』を「綺麗」だと感じるのだと結論付ける。

 

参考文献

中勘助銀の匙,(角川文庫7496),(1989),角川書店